今論(生命論)

 なぜ原子核は陽子はプラスの粒子ばかりなのに集まるのか? なぜ原子核の周りに電子がかならず存在するのか?なぜ原子は集まって分子を作るのか? なぜ分子はあつまって物体を作るのか? なぜ分子が集まってたんぱく質を作るのか?なぜたんぱく質が集まって細胞や生命を作り出したのか? なにもそんなめんどくさいことする必要ないし そうなってゆく必然性はどこにあるのか 普通に考えれば粒子はそんな複雑な作業をする確率はとんでもなく低いはずである こういった疑問は科学では説明してくれないし しても麒麟の首は高いので餌にとるのが便利だから長くなったんだ のような結果に対する言い訳説明になるだろう 私はそこになんらかのそちらに向かう方向性ペクトルがあるのだろうと考えます それは時間量だと考えるのです  素粒子から宇宙まですべての存在をあらしめている今という統一体それを存在させようとする意思 これがこの世界を、貫き通す1本の柱である。つまり、今をあらしめる 要請がこの統一体の最も、重要な根本的な上下を貫く感覚ベクトルである この柱を通して世界のミクロから宇宙までのできる存在がある その統一系統にあるのがあえて感覚であるといおう。感覚といっても、人間レベルの感覚と微細なレベルの感覚は当然違う 例えば、皮膚感覚は細胞レベルの集合体の感覚で痛い 痒い 熱い 音 味 臭い等であり、いわば五感であろう。これが、高度な生命体になれば、これに記憶が加わって感情の動きとなる。動物クラスでは、怒り 喜びがありこれが、人間クラスになると感動 感激 同情 悲しみ 等低いレベルでは、感じられない感覚が生じる

この世界の本質とは観測によって成り立っている。 不確定性原理が成立すれば観測しなければこの世界は不確定だ。しかし月は見なければ存在しないのか、アインシュタインから反論があったともいうが 観測とは何かで意見がわかれるところであろう。今論では時間量のことである。時間量はたくさんの時間レベルが今の瞬間に同期して重ね合わせになり時間量小世界を時間量大のレベルが観測をしているのである。肉体でいえば細胞を観測しているのはその周りの肉体であり外部からの刺激や環境シグナルの分泌物であろう、その内部の核DNAやたんぱく質の不確定を守る細胞膜が観測の限界である。その中は量子現象でがいぶ外部シグナルにより観測され遺伝子情報が確定される。こう考えると感覚は量子現象の延長といえるかもしれない。つまり量子の観測による収縮は感覚に成長する。感覚は観測であり、人間以外の生物すべてが(ウイルス 細菌まで何十万種類)まで観測している、人間が知らない世界をだ!それ以下の無機物はどうだろう?ウイルスもいないとなると不確定だろうか?観測がないのにそこに厳然と岩があるということは その周りに空間があるということは空間を認識する生物が観測?いやまったく生物のいない宇宙では そうか人間以上の高次元の何か(生物?)に観測されていたら まあ観測はその周りの環境がしていると?いやおかしいだろう 宇宙あらしめるなにかが存在物を感じせしめる、としておこう しかしなにか逃げ口上にかんじる  ではこうしょう いやそうだきっとそうだ!観測は意識は存在の規約をあたえるのだ!何等かの存在物がまえもってある それは不確定である。空間も質量もすべてがである。それがその観測 感覚などで場がつくられる(距離 質量 動き(時間)と考えよう こうして量子の世界と繋がる そうすると総じて時間量の理論で統一できる こうだ 時間量は観測である。今を作り出している 


 

imaron3 生命論

imaron1,imaron2. を統合して解り易くかきました。生命とは何か?これをテーマに描きます

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