存在
今論序論
存在するとはなんだろうか 。数はどこまでも小さくできる。円周率でも に無限に小さく計算できる。つまり無限小という概念で現せる しかし、実在は違う 例えば、鉛筆で点を書けばそれはそれなりに範囲を持つ素材となり、どんなに小さくても、そのあとの存在を〜占める領域が必要である。つまり、限界少が、あるということである。物理学では、電子等は、大きさを、もたない。存在として、説明される。もうそれ以上分割できない しかし大きさをもたなくても実在している それは波動として存在している 観測すると量子として振舞う とにかく最小限度の存在である 本質的な存在とは? このテーマを追求した結果こういう考えになりました
存在のイメージ
ここにに白い紙とその中に丸が書いてあるとする この丸認識されるのはその周りの余白があるからだ だがそれだけでは足らない それを上から眺める視線が必要だ 2次元の紙面の中ではその丸はたんに線にしかみえない それですべてだろうか?もう一つ大事な要素がいる それは時間の流れである 時間がなくては存在そのものがありえないからである なにを当たり前のことを話しているのか?それではこれらの要素で自己完結する理論はないのであろうか
とりあえず次のようなイメージを考えてみよう
下図を自己完結にするにはどうしたらいいだろう?
自己完結とはオッカムの法則と呼ばれるこのもっと単純な解決策があれば複雑なほうを選ぶべきではないという法則である
自然界もそうであるべきでパロメーターが多い現代理論はやはり無理があると考えるべきである すくなくとも少ないほうがいい と考えている
A
自己完結とはこの二つの丸を一つの存在にしてしまうことである
中の丸は園周りの余白があればこそ存在を認識する ということは二つの次元があればこの中」の丸が認識できるか?そうではない この二つを外から眺める点が必要だ まあこれは三次元ですね ついでに時間が流れないとvしえませんね 時間は少し後で説明するとして
この図を自己完結させたい つまりこの外丸 中丸 矢印以外は存在しないとしたい それには外丸をお椀のように上にそらして下図のようにすると丸は外と内が一つになり開いた空洞が存在認識となる
シンプルな立体ですとこんなのがそうですね
B
時間量とは何か
時間を説明するには時間量とは何か?の説明が必要です この時間量を究極の最小値まで行き着けばそれはプランク定数の不確定原理まで行きます とりあえずこの不確定原理のお話は後にしてこの時間量からはじめます 時間量とはこの例で言えば枕木にあたります この枕木の長さが不確定場の一瞬にあたりこれを時間量となずけます ???不確定場 一瞬
??なんのこっちゃとなりますがあまり厳格に説明すると肩がこりますので
できるだけわかり易くイメージしやすい お話でいきたいと思います
不確定場とは物理でいう場の拡がりのみではなく時間の不確定もいれ
後から説明するML^2=hTの不確定を時間量と名づけTで表す ここで注意してほしいのはあくまでこの概念は不確定性原理の誤差の範囲でこれからでてくるT M L はΔt Δ」m ΔLの量子的重ね合わせのことです
この説明はよくわからないでしょうが後ほど不確定性原理でします
といいながらまずこの基本的方向性を大上段からお話しておかなくてはいけません
ここだけは最初から理解できなくても当然のところですが骨の部分ですから書いておきます
上図のようなイメージは量子論の観測問題からくるもので跡で説明いたしますがこの理論の需要なテーマです 観測すると収束してものの存在を確認するというのが基本的考えになっています 今の穴にあたる部分が量子であるとするとその周りはその量子を客観的に観測する何かであるとする何かとは何か?その対象物を自身とは違うと感じる主観である。主観と客観で一つである。最も単純なモデルであります。物質は不確定場と考えていますからこの
虚空のモデルは相応しいです。色即是空であります。おい!これでは質量、時間、などがでてこないぞ!と 思われるでしょう、あわてないください。これから独自理論になります。この理論では一瞬に絶対性を取り入れます。これに関しては別稿をみてください。一瞬はすべてに優先します。今論の根拠です。今がすべてですとなると今、今、今と続きますこれは波動です今の一瞬が虚空であればその周りは余白は実在にあたりますこの今が重なり今、今、が大きくなります。今ですから時間の流れではありません。一瞬が大きくなります一瞬の不確定が大きくなるというわけです。この不確定時間は時間量となずけます今、の不確定は一瞬ですから測れないのです,測れたら一瞬でなくなります、時間の不確定とは何を意味するか?その時間の幅の 間は過去も未来もないということです。つまりその量子の軌道変化は記憶されるということですこれは分子が進化して有機物タンパク質など細胞レベルの過程は記憶されるということです。そうでないと分子生物学の複雑な工工程は説明できませせん。迷路でお話ししと下図のような迷路は量子では一瞬で突き抜けます.こうした過程をくぐりタンパク質や生命体構造を創造するのです。この部分は勝手な想像です。分子生物学を読むとあまりな何百の工程で分子ができてくるのを偶然とはとても思えません。DNる家庭Aからコドンがあつまってアミノ酸ができる過程はその遺伝子
がどのように組んでもつながりません、これは三個の遺伝子がそれ自体暗号の役目をしてアミノ酸を集めるのです、つまり情報です、こんなミクロの世界で情報が組み立てられるのはこうした 情報が必要とは考えられません、が事実なのです、この量子の記憶を保護するため核膜、細胞膜、などで不確定場がほごされています。ですから核膜は細胞に観測され、細胞はその周りの肉体に観測されていますつまり時間量がちがうのです。観測されるほうよりと観測するほうは時間量が違うのです。ちょっとややこしくなってきました。これ以上は不確定性理論の独自解釈を説明します
その為には時間とは何か?から始めます
時間とは
時間と空間の関係
皆さん遠くへ行けば行くほど物が小さく見えるのは不思議だと考えたことはありませんか
当たり前すぎて何をゆうかとお思いでしょうか その説明までする必要はないでしょうが
簡単にいえば視野が拡がるから相対的にものが小さく見えるというのは経験則で本質論ではないのでは?と思います 遠くの物 例えば自動車が近くを走ればすごい速度で通り過ぎるけど遠方でみれば小さく見えますから自動車ものろのろ動いているようにみえます でもそれは我々がその距離感を知っているからでもし距離感も自動車の知識知らない立場から観測したら見比べて小さく見える自動車がゆっくり動いてると判断するでしょう なにをいいたいというと方位でも観測する方向は重なって一つの断面でみるということです そしてそれが絶対観測条件なのです 遠くの自動車のそばにゆけば車は時速60キロで走るのがわかりますがその間に距離が近くなります そのことを経験でわかっいるから不思議だと思わないのです 自動車の大きさを知っているから当たり前のように思いますがもし視野が拡がらないならどこまでも同じ大きさであるという理屈になります 目の前の鉛筆が一キロ離れても同じ長さに見えたとしても理屈の上からは不思議はない なにをいいたいというと 観測とはある一つの断面を通して見ることで同じ物体が小さくなると(見える)ゆっくり動く 大きくなればなるほど早く動く これは我々の観点の時間の進み方が絶対基準になつているからであります これは変えられません これは逆にミクロの世界も同じです
見方によればミクロになればなるほど対象物は巨大化してゆくといえます そうなれば
その動きは早くなります この事実をそう見えるだけと判断するのは経験則にすぎないのです 観測点の時間の流れが基準になるなら 方位も重なった方向は 遠いほど小さくなります なぜこんな当たり前のことをお話するのか?といえばこれは時間にも当てはまるのでは?と考えるからです
時間と方位の関数はグラフでもよくでてくるが 皆さん勘違いしやすいことがある それは現実には方位(距離)は行き来できるが時間はできないということである グラフでかけばそれは紙面上の客観性で 書 けるから勘違い するのであります 過去や未来へいけない 常にその時間上に観測者はいるのであって客観的に時間は見えないのです これは大事な事で解りやすくイメージすれは電車の中から線路をみているようなものです 窓の外の風景が後ろへ移動していく変化から時間を定義していますが当人は未来にも過去にもいけません今しかありません 時間は未来に向かって?進むわけですからそれは電車の進行方向をみているのに当たります 進行方向とは枕木が重なって見えるのが正解で線路をそとから眺めているようにイメージすると勘違い起こすのです というのが現代物理学の客観性の壁なのです 時間は積み重なってみえるものにイメージするのが正解なのです ですからこの概念で時間を再構築しなくてはいけません この考えでいきますと時間量という一瞬の観測量ともいうべき物理量が必要となるのです 枕木の長さは遠くても同じはずです つまり近くへゆけばつまりそのレベルから観れば同じ一瞬ではありますが観測位置から見れば遠いほど枕木は小さくなりこの遠いとはミクロへ行けば行くほど時間量は小さくなるということです それらの一瞬を同時に今の一瞬にするため時間を重ねて考えなくてはならないからです 時間が重なっているとはどうういう事なのでしょう それは観測とは何かということであり それは時間と空間の発祥の極小値 プランク時間とプランク長の不確定原理までとばなくてはなりません
時間量とは何か
時間を説明するには時間量とは何か?の説明が必要です この時間量を究極の最小値まで行き着けばそれはプランク定数の不確定原理まで行きます とりあえずこの不確定原理のお話は後にしてこの時間量からはじめます 時間量とはこの例で言えば枕木にあたります この枕木の長さが不確定場の一瞬にあたりこれを時間量となずけます ???不確定場 一瞬
??なんのこっちゃとなりますがあまり厳格に説明すると肩がこりますので
できるだけわかり易くイメージしやすい お話でいきたいと思います
不確定場とは物理でいう場の拡がりのみではなく時間の不確定もいれ
後から説明するML^2=Tの不確定を時間量と名づけTで表す ここで注意してほしいのはあくまでこの概念は不確定性原理の誤差の範囲でこれからでてくるT M L はΔt Δ」m ΔLの量子的重ね合わせのことです
この説明はよくわからないでしょうが後ほど不確定性原理でします
といいながらまずこの基本的方向性を大上段からお話しておかなくてはいけません
ここだけは最初から理解できなくても当然のところですが骨の部分ですから書いておきます。この時間量はプランク定数を係数にもちますがこの場合は無視します。一瞬の時間誤差のことですが小さい時間誤差は内在していますからこの時間量はその成り立ちの記憶を持っています、時間量が大きくなるとそのものが生命に進化してゆくことになり感覚、意識っへと成長します。大事なことはこの一瞬の積み重ねが意識まで進化してゆくことです。つまり時間量そのものが生命なのです。大きな時間不確定を作ることが生命を創造することになるのです。したがって時間量の波動でこの世界宇宙は創造されているわけです
時間量とは何か
時間を説明するには時間量とは何か?の説明が必要です この時間量を究極の最小値まで行き着けばそれはプランク定数の不確定原理まで行きます とりあえずこの不確定原理のお話は後にしてこの時間量からはじめます 時間量とはこの例で言えば枕木にあたります この枕木の長さが不確定場の一瞬にあたりこれを時間量となずけます ???不確定場 一瞬
??なんのこっちゃとなりますがあまり厳格に説明すると肩がこりますので
できるだけわかり易くイメージしやすい お話でいきたいと思います
不確定場とは物理でいう場の拡がりのみではなく時間の不確定もいれ
後から説明するML^2=Tの不確定を時間量と名づけTで表す ここで注意してほしいのはあくまでこの概念は不確定性原理の誤差の範囲でこれからでてくるT M L はΔt Δ」m ΔLの量子的重ね合わせのことです
この説明はよくわからないでしょうが後ほど不確定性原理でします
といいながらまずこの基本的方向性を大上段からお話しておかなくてはいけません
ここだけは最初から理解できなくても当然のところですが骨の部分ですから書いておきます
時間とは何か
それでは一般にいう時間とは何か それは時間量の勾配のことで
この勾配は一瞬の場の拡がりと時間量の増大との関係で
ここにおいて矢印の Tn/Tf が時間を表している 例えば0.003秒は3/1000秒ですから1秒を1000Tの時間量 観測する対象の時間量を3T
とすると対象物の時間量が一秒の時間量1000Tのなかにいくつ含まれるか?その逆数のことですから1000/3の逆数0.003秒が時間となります
本質的にいえばこの世界は最小の時間量の点滅のみで成り立ちその時間量が量子的に重なって今を作り出して行く
そのレベルは同時でありそれゆえレベルにより量子 質量 物質タンパク質 細胞 生物 (感覚である )意識 が創りだされる
宇宙のような巨大さは今の連続で過去も今に観測されるものでそれを空間という
今論においては今にしか世界はありません 過去や未来はありません
過去とは一瞬の不確定の拡大方向に内在され今とその過去が一瞬に内在して不確定の時間量の中にある方向 私から見れば光の飛んで言った宇宙方向でありますが
あくまで私の今から見たらそのような方向に見えるというだけでありそれが私の見える宇宙なのです
今論の根本思想
この世界は、”今”の一瞬の統合体により成り立っている すべての現象は観測により成り立ち ”今”に収束しょうとしている しかし ”今”の一瞬が観測限界がありその誤差が不確定場であり 時間量として定義され この時間量は観測レベルにより決定され その同じ時間量の中ではその変化 動きはエネルギーの増加として表される 上位レベルから下位レベルへの観測が時間概念や空間間 質量などを現出させる 観測の最小限界は不確定性原理であり (その最小時間量をレベル1として置く) その次元式からMT^2の質的変化により時間量の飛躍(下位レベルから上位レベルへの上昇)が生じ(これを物質から生命へ進化と表現)生命が生まれ 感覚 意識が進化してこの世界が成りたっている。それにより、ML^2の時間量の質的変化が伴う これらのレベルは時間量の重ねあわせとなり”今”を形成する
上記の原理から生命とは何か宇宙とは何か この世界の成立がすべて説明できる 以上! ごくろうさまです
というわけでこれから一つ一つ説明したいと思います
今論序論
存在するとはなんだろうか 。数はどこまでも小さくできる。円周率でも に無限に小さく計算できる。つまり無限小という概念で現せる しかし、実在は違う 例えば、鉛筆で点を書けばそれはそれなりに範囲を持つ素材となり、どんなに小さくても、そのあとの存在を〜占める領域が必要である。つまり、限界小が、あるということである。
これを、これ以上観測不可能として、最小不確定性場と名付けよう 物理学では、電子等は、大きさを、もたない。存在として、説明される。。もうそれ以上分割できない。広がりという概念は不確定場に他ならない。この点の存在を観測した時、時間が流れる これは、意識ではなく、感じても同じである。感じる等は、その瞬間、時間が流れる 時間が発生する。何かが存在するということ 観測するということは、同時に、時間が流れる 二つに分割できない。時間それは、一瞬である。この一瞬は、感覚的な時間である。次に、この点を沢山重ねて上から見てみると、これは、やはり、点にしか見えない 点が10個重なれば10点という。シャレではないこの10とは点の密度というようなもの。になる。これは、質量のヒントがあるではないだろうか。今論では、この一瞬の重ねあわせがこの世界を、作り出していると考えている。一瞬の重ねあわせとは単なる波の重ねあわせとは違い、時間量の重ねあわせのことで、分割できない一瞬はどのレベルでも分割できない一瞬であり一瞬の感覚は同じである。しかし上位レベル(後ほど説明)の一瞬の中に下位レベルの一瞬が包括されている。1秒を上位レベルの一瞬とすると下位レベルが0.1秒が10回そこに包括されている。上図でいえば枕木を間近から遠くまで重ねたようなイメージでだんだん枕木が遠くほど小さく見える(枕木が大きいほど上位レベル) そのまま重ねたイメージです 枕木が遠くても実際は同じだというのは客観的にはそうですがそうは考えない 絶対基準は観測側にあると考えるのです 大事なことは、客観的時間の流れではなく、感覚的一瞬にこそあるということである。、分割できない。一種の重ねあわせ、このアイディアでこの不思議な生命現象を説明できる、可能性が今論である。
上の説明からわかるように何かを観測した瞬間時間が発生する 存在すると時間は裏表なのですAのように小さな丸を認識するのにはその周りに余白が必要です つまり場の拡がりです 上の例では余白がドーナツ自身にあたるわけでつまり自分自身になります そう考えるとその余白とは場ですから拡大解釈すれば空間にあたります あれ!そうすると空間とは自分自身ということになります 厳密には場と空間とはちがいますがイメージですそして子の時間量はたくさん重なって場から空間になる つまり生物レベルになる かつその痕跡つまり過去の記憶をもつ ここのとこりがミソである 待て記憶は脳みそが持つなんていわないでほしい 生命の機能をこの現象で説明するための理論だから 時間量はとても大事な概念であるもしなければ今論は終わりである そうなれば新しい概念量を想定しなくてはならない しかし宇宙生命を何かたくさんのパラメーターを
要求するのはおかしいこの原理はオッカムの法則とよbはれる(オカッムの剃刀もっと単純な解決策があれば複雑なほうを選ぶべきではない)
時間量を説明するため不確定原理から始めたい
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