存在とは
存在のイメージ
ここにに白い紙とその中に丸が書いてあるとする この丸認識されるのはその周りの余白があるからだ だがそれだけでは足らない それを上から眺める視線が必要だ 2次元の紙面の中ではその丸はたんに線にしかみえない それですべてだろうか?もう一つ大事な要素がいる それは時間の流れである 時間がなくては存在そのものがありえないからである なにを当たり前のことを話しているのか?それではこれらの要素で自己完結する理論はないのであろうか
とりあえず次のようなイメージを考えてみよう
下図のグラフを自己完結にするにはどうしたらいいだろう?
自己完結とはこの二つの丸を一つの存在にしてしまうことである
シンプルな立体ですとこんなのがそうですね
ドーナツ型かな これなら外の円と中の円は一つで完結しています この底の小さい穴が丸ですからこれが存在物に当たります そして周りの余白がぐるりとドーナツ型に覆いかぶさって上から目線でその丸を認識しているイメージです つまり余白とは認識側にあるということです 余白とは自分自身だということです ただ禅問答とは思わないでください 一つのイメージだということですところで
時間次元はどこにある 私はこれだけで時間次元も説明できると考えています それには少々物理量の解釈が変わります その為には時間とは何か?から始めます
時間とは
時間と方位の関数はグラフでもよくでてくるが 皆さん勘違いしやすいことがある それは現実には方位は行き来できるが時間はできないということである グラフでかけばそれは紙面上の客観性でかけるから勘違いするのであります 過去や未来へいけない 常にその時間上に観測者はいるのであって客観的に時間は見えないのです これは大事な事で解りやすくイメージすれは電車の中から線路をみているようなものです ですから時間方向は時間が重なって見えるのが正解で線路を
そとから眺めているようにイメージすると勘違い起こすのです というのが現代物理学の客観性の壁なのです 時間は積み重なってみえるものにイメージするのが正解なのです ですからこの概念で時間を再構築しなくてはいけません この考えでいきますと時間量という観測量ともいうべき物理量が必要となるのです 時間を重ねて考えなくてはならないからです 時間が重なっているとはどうういう事なのでしょう それは時間と空間の発祥の極小値 プランク時間とプランク長の不確定原理までとばなくてはなりませ
それでは一般にいう時間とは何か それは時間量の勾配のことで
この勾配は一瞬の場の拡がりと時間量の増大との関係でつまり光の速度のことです 今論においては今にしか世界はありません 過去や未来はありません
過去とは一瞬の不確定の拡大方向に内在され今とその過去が一瞬に内在して不確定の時間量の中にある方向私から見れば光の飛んで言った宇宙方向でありますが
あくまで私の今から見たらそのような方向に見えるというだけでありそれが私の見える宇宙なのです
0コメント